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【プロレス】大仁田厚、荒井昌一社長の自殺を振り返り「昌ちゃんは死ぬ事なかったし、俺は昌ちゃんが好きだった」  FMV倒産、直後自殺騒動・・・ 何故大仁田厚だけが生き残ったのか

2017年10月31日(火) エンタメ

1: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/10/30(月) 14:54:12.29 ID:CAP_USER9
2001年から07年まで参議院議員を務めた大仁田厚。
国会議員として活動する一方でプロレスラーとしても2度に渡り「引退宣言」と「現役復帰」を織り交ぜながらリングに上がり続けた。

そんなプロレスラー大仁田にとって自らが産んだ団体が消滅する時が来た。
02年2月。89年10月に旗揚げした「FMW」が3億円の負債を抱え倒産したのだ。

悲劇は続く。旗揚げ時から2度目の引退までリングアナウンサー、マネージャーとして支えてくれた
社長の荒井昌一が5月16日、自殺した。36歳の若さだった。
荒井は亡くなる前の4月に「倒産FMW!カリスマインディープロレスはこうして潰滅した」(徳間書店刊)を出版していた。

著書には、負債を返済すべくいわゆる「闇金」にまで手を出していた壮絶な内部事情。
そして、大仁田が95年5月の引退から復帰したことで、団体が混乱したことなど荒井の視点で書かれていた。
当時、大仁田は、この本についてほとんど語ることはなかった。

「オレは何も言わないでおこうと思った。ゴチャゴチャ言う人もいるけど、昌ちゃんは、一生懸命にフロントとのトップとして
選手にギャラを払おうと資金を調達していたけど、結果、それがうまくいかなった。ただひたすら、一生懸命だったんだと思う」

団体の運営も引退後に大仁田の指示で荒井が新会社を設立し、復帰した時のビデオの権利など金銭面での介入も書かれた。

「会社は、株をオレが53パーセント、荒井が47パーセントっていう比率にして、そのまま継続していた。
新しい会社を設立したのは、オレを追放してから。経理は、オレの母親の夫、つまり義理の父親が担当していた。
オレ自身は金には無頓着な男で、金についてはすべて義父に任せていたからよくわからないっていうのが本当のところ。
引退した時に川崎球場での収益から3000万円をレスラーからの退職金という形でもらったけどそれ以外は、オレがもらったことはない」

復帰も大仁田がミスター・ポーゴの引退という仕掛けからリングに戻ることを提案したとされた。

「ポーゴさんの引退っていう話がまずあって、その時に荒井から“この試合は大仁田さんしかいません”って言われて、それで復帰することになった」

FMWは、98年4月にCS放送の「ディレクTV」と契約した。放映権料は年間6000万円で安定した収入を確保したことで団体の運営は、順調にいくかと思われた。
しかし、2000年2月に同局が事業中止となり、一気に資金繰りが厳しくなった。

「ディレクTVとの契約にオレは一切、ノータッチだった。ただ、あの契約金は一体どこへ行ったのかと思うよ。
あのころ、保坂秀樹が、フロントのある人間が財布を開けたところをみたら、札束が入っていたのを見て、
“この会社はどうなっているんだ”って思って、それで嫌になって退団したって言ってた。
選手は1試合1万円ぐらいのギャラでフロントがそれだけの札束を持っていたらそりゃ、やってられないと思うだろう」

(続きます)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171030-00010000-spht-fight&p=1

2: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/10/30(月) 14:54:44.94 ID:CAP_USER9
(続き)
大仁田は98年11月に追放された。
「その後、昌ちゃんは、自分たちで会社を設立した。FMWっていう名前を使うことに異議を唱えることもできたけど、
そんなことはしたくなかったし、オレの中では追い出されたことで、“もういいや”って思っていた。
あのころ、オレの目から見たら、昌ちゃんは、オレのことを排除したい周りの誰かに乗せられていたと思う」

その後、2001年10月にエースのハヤブサが試合中の事故で欠場に追い込まれた。看板選手を失った団体が倒産したのは、それから4か月後だった。

「オレがFMWを潰したとか、ハヤブサがケガをしたのもオレのせいだって言う人がいるけど、
ケガした時も倒産した時もオレはとっくに追放されていなかったわけだからね。
ハヤブサにはオレの後のFMWを託したし、彼が“全日本に上がりたい”って頼まれた時に、
馬場さんの所へ行って頭を下げてお願いしたこともあった。
オレなりに彼のために最善は尽くしてきた。ただ、言えることは、昌ちゃんに大仁田厚を利用するぐらいの器量があれば、展開は違っていたかもしれない」

あの本をきっかけに一部のプロレスファンが大仁田を見る目は、とりわけ厳しくなった。

「オレのイメージが悪くなったって言っても、昌ちゃんとしてみれば、本を出すならオレのことを書くしかないよね。
書く以上は、オレのことをコケにしないと売れない。だから、しょうがないなって思うだけ。
言いたいことは、みんな、プロレスが好きなんだよね。その中でそれぞれが自分の立場や考え方で一生懸命にやっていた。そういうことだったと思う」

荒井の自殺を今、どう思うのか。
「死ぬことはなかった。そして、オレは荒井昌一という男が本当に好きだった」

昨年3月3日。ハヤブサが47歳で亡くなった。リング上での事故から懸命に復帰を目指した中での悲報だった。

「人はいつどうなるのか。何が起きるのか。最後にはいつ死ぬかなんて誰にも分からない。人生は一度。
だから、後悔しないようにその時その時を精いっぱい生きるしかない」
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(記事終)


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